着物の種類

akashichidimi
【概要】
新潟県十日町市が発祥として知られる絹織物で、緯糸にとても強い撚りをかけて作られるのが特徴のひとつです。1メートル当たり約4000回も撚りをかけるため、使用する糸の薄いかすかな汚れも圧縮され濃くなってしまうので、繭の初めや最後の不純物が多く入っている箇所は使わず中心の純度の高い最高品質のもの使用しないと明石縮は作れません。平織りの薄物(経糸と緯糸を交互に浮き沈みさせて織る)なので通常の織物以上の技術や集中力が必要になります。最高級の糸に高度な撚糸技術を加え、繊細で他に類を見ないこの布は「蝉の翅」(せみのはね)と呼ばれ清涼感のある最高の着心地を生み出します。戦時中の過酷な状況の中、一時はほとんど作られなくなってしまいましたが、平成10年になって吉澤織物が明石縮を復刻させ大正、昭和にかけて一世を風靡した幻のちぢみを現代に蘇らせたのです。

【歴史】
今から約400年前、播州明石の船大工の娘・お菊が「かんなくず」をヒントに生み出したといわれています。享保年間に発行された『万金産業袋』という書物には「たて絹糸、よこ木綿糸にて、 尤もよくうつくしく縮たる物也。」とありますが、元々明石縮は縦緯共に木綿でした。その後絹が普及し始めると 苧と絹の交織(縦緯別の糸)になり、やがて縦緯共に絹糸のものが生まれ明石本縮と呼ばれたといわれています。明治20年ごろ新潟県柏崎町の越後縮問屋・洲崎栄助があることに気づきます。西陣の織物業者が「明石縮」を研究しているのを発見し、京都の西陣より湿度が高く、越後縮以来の強撚糸技術を持つこの地域がちぢみを織るのにとても適していると考え、十日町の機織業「米忠」の佐藤善次郎に見本を見せて研究したのが、現在の「十日町明石ちぢみ」の始まりです。しかし製品として完成するまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。撚糸、絣、整理仕上げ、どの工程も当時の一流の技術を持つ職人が開発に当たりました。幾度となく失敗を積み重ね改良を加え、明治27年に初めて市場に送り出します。しかし織物としては未完成の状態で、価格が他のものと比べ若干割高であったため、売れ行きはあまりよくありませんでした。ターニングポイントとなったのは弱点であった「ぬれると縮む」という点を蒸気の熱で加工することにより克服したことでした。以後明石縮は「玉の汗にも縮まぬ明石」という名で世に知られ、高級夏着尺としての地位を確立して言ったのです。
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